完璧主義者は100万回絶望する

完璧主義的でいると、

絶望を100万回は味わう。

have to思考から少しだけ解放された、

自分なりの方法論について。

 

完璧主義的なところがある。

前回の

やらなければいけないことなんて - ひとりごとと

でも書いた通り、何かを決める時に

"こうでなければならない"という気持ちが

ポン!と出てくる。

 

ポン!と出てくるくらいだから、

無意識に刷り込まれてるんだろう。

ここの刷り込みを、もっと柔らかく

書き換えられないか、模索している。

 

完璧主義的でいると、

100万回は絶望する。

 

朝は5時に起きなきゃ!

→起きられなくて、絶望

ダイエットのために21時までにご飯を終わらせる!

→夜中にカップラーメン食べちゃって、絶望

毎日家の中はきれいピカピカでなくちゃね!

→掃除がめんどくさくなって、絶望

 

毎日、絶望。

そして、失望(ラップ?)。

 

完璧主義でいると、

自分を嫌いになる要素があまりにも多いことに

気づかされる。

 

だって、決めたことが出来ない自分を

ドドーン!と見せつけられるから。

出来ている内はまだ良い。

でもその出来ていることそのものにも、

強迫的な思いが込められていたりするから、

苦しい。

 

どうしたら良いんだろう。

 

無意識のhave to思考を解きほぐす方法として、

"やらなくても良いよ"と

心の中で、都度自分に聞いてみている。

強迫的に選ぶ前に、立ち止まる

スキを自分に与える。

そして、選び直す。

 

もう一つ、ある。

自分から

"はい、今から絶望の選択をします"

と言って物事を決めるのだ。

 

途端に馬鹿らしくなってくる。

あれもこれもやらなきゃと思ったらすぐ

"はい、今から絶望の選択をします"と

無機質に言う。

無機質に言うのがポイント。

 

何にしろ、

ものの決め方が強迫的であるということを

自分に気づかせるための方法だ。

 

何かをやる度にこれを言うようになってから

"いや絶望するって分かっててやる意味!"

とセルフツッコミを入れられるようになり

やっぱりやめよう…と思うようになった。

 

少しは効果が出てる…のかな?

 

完璧主義的でいると、

絶望を100万回は味わう。

have to思考から少しだけ解放された、

自分なりの方法論についてのお話でした。

 

"ZETSUBO"

という文字を胸に

プリントしたバッグでも作ろうかな笑。