断捨離-面白い経験その2

断捨離-面白い経験その1 - ひとりごととの続き。

 

断捨離を通して

"大切だと思っていたものを捨てたら、

そのものが実はじぶんにとって重荷だったこと。

それを捨てたらかえって気持ちが解放されたこと"

 

に気がついた。

 

これを、自分にも当てはめられるんじゃないかと。

 

例えば、”私の”。

 

私のこだわり。
私の価値観。
私の個性。
私らしさ。
自分らしさ。

 

そういうものを、全部捨てたら何が残るんだろう?

 

こういうものって、あるとなんか、かっこいい。
”自分軸”とかね。自分のスタイルが確立されているようで。

 

断捨離をして、部屋に物がほとんどなくなった時、
さぁこれからどんな部屋にしよう?
可愛くて、おしゃれで、センスの良い…なんて色々言ってみて、1ヶ月。

 

なーんにも、出てこない。
ずっと断捨離をした時の、空っぽの部屋のまま。

 

何も困らない。
使うものだけが置いてあるから、探し物もない。

 

自分が今まで必要だと思っていた”私らしさ”なんて、
なくても暮らせるじゃんと思った。


”私らしさ”を持つことがダメってわけじゃなくて。
”私らしさ”にこだわりすぎると、それが重荷になる。
自分で自分にプレッシャーをかけることになる。

 

必要なものに囲まれて、暮らしは十分成り立っている。
気持ちもどんどん軽くなっていく。背負っているものがないから。

 

じゃあこの際、

持っている観念をどんどん捨てたらどうなるんだろう?

 

”私らしく働く”
”私に合った職場”
”私のセンス”
”自分らしい”
”生き方”etc…

 

こういう、”自分が大切だと思っていること”を、片っ端から捨ててみた。
捨てると言っても、

形のないものなので”はい捨てました!”って宣言しているだけだけども。

 

”大切なこと”も捨てる。
”重要なこと”も捨てる。
”必要なこと”も捨てる。

 

面白いよね。

”生きてる”っていうのだけが残った。

ただ、毎日生きていること。
それだけ。

 

今まで握りしめていた生き方や考え方って、
”自分にとって”大事だと思っているだけで、
絶対手放せないとか言いながら、捨てても困らないんだと気がついた。

 

”作りたいもの”も捨てた。
そしたら、作りたいものが、勝手に湧いてきた笑。
”流行っているから”とか、”売れるから”とか。
そういうものがくっついていない、ただ、作る。それだけ。
あぁ、これ、楽だな、って思った。

 

”今”だけが、残る。
それが何よりも、気持ち良い。

 

断捨離の”離”って、”突き放す”っていう意味も含んでいるんだそう。
一旦距離をとって、物と自分との関係性を問い直していく。

 

私にとって断捨離は、最初は部屋の大掃除だったけど、
結果的に”自分との関係性の見直し”にもなった。

 

心の大掃除。
必要だと思っていてしがみついていた観念を手放すことで、

背負うものがなくなったから。

 

今年に入って(まだ2月だけど)一番面白い体験でした。

 


5年ぶりに、ここに帰還しました。
何かふと、文章を書きたくなったので(これも断捨離の賜物?)。
今まで書いた記事を見直していたけれど、何も覚えてない笑。
本当に私が書いたのか?って感じ。
また何か気づきがあったら、書きに来ようと思います。

断捨離-面白い経験その1

お正月に実家に帰ったら、部屋に断捨離の本が置いてあった。

 

”断捨離”って言葉はよく聞くけど、本は読んだことなかったな。
そう思って、家に持って帰ってきて読んだ。

 

驚いた。
断捨離って、”とにかく物を捨てまくれ!超!お片付け法”だと
思っていたけど、哲学なのね。

 

物を減らす、捨てることによって、物と自分との関係性を見直す。
早速感化されて、物を捨て始めた。

 

今、自分が使うもの。

それだけを残して、あとは全部捨てた。
ワンルームに住んでいるけれど、

部屋ってこんなに広かったんだな…としみじみ。

 

断捨離をして、経験したいちばん面白かったこと。
それは、

 

大切だと思っていたものを捨てたら、

そのものが実はじぶんにとって重荷だったこと。

それを捨てたらかえって気持ちが解放されたこと。

 

これに尽きる。

例えば、押入れ収納に入っていた布の山。
洋裁をするので布を買い溜めているんだけど、

それが押入れの天井まで積み上がってた。

 

布を買った時は確かにそれを可愛いと思っていたし、

作るもののイメージも湧いていたのね。

 

でも、その布は、5年間も押入れに眠っていた。
5年も経ったら、もう作りたいものも変わっているでしょ。

 

押入れを開くたびに、”あぁ、この布かわいいな”と思っていたのに。
実は、”まだ物を作ってない”、”せっかく買ったのにまだ何もしてない”
そんな風に、無言のプレッシャーを感じていたことに気づいたのね。

 

布を一気に捨てるとき、ものすごい痛みが出てきた。
目眩と吐き気がする。それくらい、抵抗が強かった。

頭の中では、
”これすごい貴重な布だから、捨てたら二度と手に入らない”とか
”ブランドの布、高かったのに”とか
色んな声がしてきた。
でもそれも捨てる自分に対するプレッシャーなんじゃないのかな。
そう思って、思い切って全部捨てた。

 

今使わないものを全部捨てた時。
あースッキリ!気持ち良い!ってなるかと思ったら、全然。
物理的には物が全然ないから目の前はスッキリしているんだけれども、
なんというか…”戦いが終わったあと”のような…脱力感。

面白かったのが、
”あぁもう作らなくていいんだ”って思ったこと。
”作らなきゃ”っていうプレッシャーから解放されたこと。
あんなに捨てたくない!貴重な布!あれを作るんだ!なんて騒いでたくせにね。

 

それで、ふと思った。

 

"大切だと思っていたものを捨てたら、

そのものが実はじぶんにとって重荷だったこと。

それを捨てたらかえって気持ちが解放されたこと"

 

これって、物に限らず、自分にも当てはまるんじゃないかな、と。

 

その2に続く

変わらないもの

 

宇多田ヒカルさんが好きで。

好きって言っても、メロディを聞き流しているだけなんだけれども笑。

今日は、ちゃんと歌詞を聞いてみた。

 

”どんぶらこっこ世の中

世の中浮き沈みが激しいなあ

どんな時でも

価値が変わらないのはただあなた”

 

究極、価値なんてものはないのでしょうけれど。

そうだね。

ずっとずっと、変わらないものはここにあった。

浮いても沈んでも、ここにいる。

 

 


宇多田ヒカル - Keep Tryin'

今、何してる?

 

久々に怒りが爆発。

何でこんなことやらされなきゃいけないんだとか、

あれもこれもやらなきゃだとか、

あーだこーだと怒ってるんだけど。

イライラしてるんだけど。

分かっていることが、

これ、全部”作り話”なのね。

 

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不安や恐怖がやってきたら

 

不安症の症状も大分おさまってきて、

心療内科の先生にも「薬は3日に一回でお願いします!」

と言いながら、それを飲み忘れたりする位、体調が安定してきていた。

 

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カンペキ

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昨日と同じ写真を使い回す

 

時間のある時に、よく森に遊びに行く。

自然はそのまま、ありのまま。

それを思い出させてくれる、

とても好きな場所です。

 

森に行ったら、ベンチに座って

ひたすらぼーっとする。

ひたすら、風がぴゅーっと吹くのを顔に感じて、

風に吹かれてゆらゆら揺れる木を見て、

風に揺られる葉っぱの音を聞く。

 

風はどこからともなく吹きはじめ、

いつの間にか止んでいる。

"今から吹きます。いきます!ぴゅー!"

なんてこともなしに。

そして、いつの間にか止んでいる。

始まりも、終わりも、どこにもない。

 

木は風に吹かれて、

気がつくとゆらゆら揺れている。

"今から揺れます。いきます!ゆらゆら〜"

なんてこともなしに。

そしていつの間にか止んでいる。

始まりも、終わりも、どこにもない。

 

"カンペキ"という言葉を聞くと、

"パーフェクト"、"100%"、"絶対"、

なんてイメージが湧いてくる。

テストで言うと、100点を取ることだったり。

成績表の、オールA!だったり。

見た目も良い、仕事もできる、お金もある。

あの人はカンペキね!だったり。

(トレンディドラマ?)

なんだかとっても、"良いこと"のよう。

 

そこでもう一度、ぼーっと森を眺めてみる。

 

風はその時吹いて、

木はその時揺れて、

それで、いつの間にか止んでいる。

誰がそれを決めたわけでもなく、

誰かに指示されたわけでもなく、

ただ自然と起こっている。

それで、完結している。

過不足はなくてね。

それで、しっかりこの世界の一部をやっている。

"カンペキ"ってこういうことなのかぁと、

なんとなく思った。

 

過不足はない。それは、

今吹いた風は、100点。

今吹いた風は、60点。

てことはなかったってこと。

 

今の木の揺れ方、いまいちだから40点。

今の木の揺れ方、なかなか良かったから85点。

てことは、なかったってこと。

 

今、どこからともなく吹いた風に、

"今なんで吹いたんですか?"

"それって意味あるんですか?"

って聞いたこと、なかった。

 

今、風に吹かれてゆらゆら揺れている木に、

"それって価値のあることなんですか?"

って聞いたこと、なかった。

 

なぜって、"そういうものだから。"

 

風が吹くことに。

木が揺れることに。

理由はないし、意味はないし、価値もない。

ただ吹いて、ただ、揺れているだけだった。

 

私もここにいて、”人間”をやっている。

誰が決めたわけでもなく、

誰から指示されたわけでもなく、

風でもなく、木でもなく、気がついたら、”人間”をやっていた。

理由もないし、意味もないし、価値もない。

ただここにいて、ただ、”人間”をやっている。

それで、この世界の一部をやっている。

風や木と、同じように。

 

ただ、ここにいる。

それだけで、”カンペキ”なんだ。