カンペキ
昨日と同じ写真を使い回す
時間のある時に、よく森に遊びに行く。
自然はそのまま、ありのまま。
それを思い出させてくれる、
とても好きな場所です。
森に行ったら、ベンチに座って
ひたすらぼーっとする。
ひたすら、風がぴゅーっと吹くのを顔に感じて、
風に吹かれてゆらゆら揺れる木を見て、
風に揺られる葉っぱの音を聞く。
風はどこからともなく吹きはじめ、
いつの間にか止んでいる。
"今から吹きます。いきます!ぴゅー!"
なんてこともなしに。
そして、いつの間にか止んでいる。
始まりも、終わりも、どこにもない。
木は風に吹かれて、
気がつくとゆらゆら揺れている。
"今から揺れます。いきます!ゆらゆら〜"
なんてこともなしに。
そしていつの間にか止んでいる。
始まりも、終わりも、どこにもない。
"カンペキ"という言葉を聞くと、
"パーフェクト"、"100%"、"絶対"、
なんてイメージが湧いてくる。
テストで言うと、100点を取ることだったり。
成績表の、オールA!だったり。
見た目も良い、仕事もできる、お金もある。
あの人はカンペキね!だったり。
(トレンディドラマ?)
なんだかとっても、"良いこと"のよう。
そこでもう一度、ぼーっと森を眺めてみる。
風はその時吹いて、
木はその時揺れて、
それで、いつの間にか止んでいる。
誰がそれを決めたわけでもなく、
誰かに指示されたわけでもなく、
ただ自然と起こっている。
それで、完結している。
過不足はなくてね。
それで、しっかりこの世界の一部をやっている。
"カンペキ"ってこういうことなのかぁと、
なんとなく思った。
過不足はない。それは、
今吹いた風は、100点。
今吹いた風は、60点。
てことはなかったってこと。
今の木の揺れ方、いまいちだから40点。
今の木の揺れ方、なかなか良かったから85点。
てことは、なかったってこと。
今、どこからともなく吹いた風に、
"今なんで吹いたんですか?"
"それって意味あるんですか?"
って聞いたこと、なかった。
今、風に吹かれてゆらゆら揺れている木に、
"それって価値のあることなんですか?"
って聞いたこと、なかった。
なぜって、"そういうものだから。"
風が吹くことに。
木が揺れることに。
理由はないし、意味はないし、価値もない。
ただ吹いて、ただ、揺れているだけだった。
私もここにいて、”人間”をやっている。
誰が決めたわけでもなく、
誰から指示されたわけでもなく、
風でもなく、木でもなく、気がついたら、”人間”をやっていた。
理由もないし、意味もないし、価値もない。
ただここにいて、ただ、”人間”をやっている。
それで、この世界の一部をやっている。
風や木と、同じように。
ただ、ここにいる。
それだけで、”カンペキ”なんだ。