結婚式

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ネイビーと白を基調とした落ち着いた式場だった

 

今日は兄弟の結婚式だった。

良く晴れて過ごしやすい陽気の中で行われた、

和やかな式だった。

 

式場の入口のすぐ近くに自分の席次カードを見つけて、座った。

席次カードの裏には兄弟の直筆で

 

"いつもありがとう。いろいろ苦労をかけてごめん"

 

というメッセージが書いてあった。

 

式場でそれを読んだ時は何も思わなかったのに、

帰りの電車の中でお腹の奥底に溜め込んでいたものが、ぶわっと一気に込み上げてきて。

帰り道、ボロボロ泣きながら家に戻った。

 

兄弟に対しての恨みの涙ではなく。

自分が悩み、苦しんできたことへの涙でもなく。

安堵の涙だった。

 

良かった。

 

兄弟の結婚を、

恨むことなくお祝いできたことが本当に良かった。

それにほっとしたのだと思う。

少し前の私だったら、

心からお祝いすることはできなかったと思うから。

 

私が子どもの頃、母は兄弟につきっきりだった。

兄弟がスポーツをしていて、

どうしても親が競技参加の手伝いをしなければならなかったからだ。

高校生だった私は母に置いていかれた(とその時は思っていた)寂しさから心身のバランスを崩し、学校に通えなくなった。

 

(そんなことをぽそりとつぶやいた、少し前のひとりごと↓

前に進もう - ひとりごとと)

 

スポーツに懸命に打ち込んでいた兄弟が謝ることではないけれど。

兄弟はそれを申し訳なく思っていて、

何か自分にできることがあればと話していたと、

後で母に聞かされた。

 

席次カードのメッセージには、

そういった意味が込められていたのだと思う。

 

高校を卒業してからも、私の体調は良くならなかった。

何かある度に心を病んでは自分を追い詰めて、

少し良くなってはまた病んで、をずっと繰り返し、

しまいには病気になった。

 

何もかもがうまくいかなかった。

どうして私ばっかり苦しまなきゃいけないのかと、

何度も何度も思った。

生きている価値なんてない。

何度も死のうと思った。

どうして自分を産んだのか。

兄弟だけいれば良かったじゃないかと母に訴えたこともあった。

 

苦しみを親のせいにして。

環境のせいにして。

自分は被害者なのだと、思い続けていた。

 

20代前半の頃。

友人たちの結婚式に、呼んでもらった時のことを思い出す。

式の途中で流れるメモリアルビデオを見る度に

心が痛んで、帰り道、ボロボロ泣きながら帰った。

 

私には"思い出"がない。

心を病んで学校に行くことができなかった私に、

写真に残せるだけの楽しい思い出はなかった。

楽しい高校生活。

楽しい部活動。

友達との楽しい旅行写真。

そんなものを見せられるたびに一人勝手に傷つき、

友人を心から祝うことができなかった。

そんな自分も、心底嫌だった。

 

30歳を超えてようやく、苦しみから目を背けずに

向き合おうと思うようになった。

過去の苦しかった経験は変えられない。

でもその苦しかった経験は、

今の意味付け次第でいくらでも良い方向に捉え直すことが出来る。

 

それが分かるようになってから、

私の見ていた世界は変わった。

 

恨んでいた母に、兄弟に、

そして自分を取り巻く環境に、

感謝できるようになった。

 

そう思えるようになったのは、

ほんの数ヶ月前のこと。

だけどそう思えるようになるまで、

約20年かかった。

 

今はそれだけ長い月日をかけてでも、

逃げずに自分と向き合おうと思って良かったと思っている。

 

色々なことがあったけれど、

私にとってはたった一人の兄弟だから。

恨むばかりで終わらせたくなかったし、

心から幸せになって欲しいと思えるようになりたかった。

今はそれを、自信を持って思うことが出来るし、

そう思えるようになった自分のことも、誇りに思う。

 

今これを書いていても、

やっぱり涙が止まらない。

両鼻詰まって、口呼吸。

鼻って片方詰まっても片方は必ず通るようになってるんじゃなかったっけ…

苦しいぃぃ。

 

溜まったものが、全部出たって感じ。

明日目がパンパンに腫れてるだろうから、

伊達メガネして仕事に行こう。

 

本当におめでとう。

あなたの幸せを、いつまでも祈っています。