時間は未来から

今日は親戚たちの、それも私より下の世代の子たちとの集まりに行ってきた。

 

親世代を交えた大きな括りでの集まりは

これまで何度も行ったけど、

今回のような、子どもたち世代の集まりは初めてだったから新鮮だった。

 

親戚の集まりには、良い思い出がない。

大勢の大人たちに囲まれて息苦しいし、

大人しくしているとそこにはいないような扱いをされるし。

 

必死に話を合わせること、

笑顔でいること、

笑いを取ろうとすること、

どんなことにも必死で。

家に帰る頃にはヘトヘトで、

食べたご飯の味も覚えていられなかった。

 

たくさんの人に囲まれているのに、

ひとりぼっち。

集まりとは、そういうものなんだと思ってた。

 

今回もきっとおんなじ感じなんだろうなぁと思いながら家を出たんだけれど、

その時ふと、少し前に読んだ本に書いてあった言葉を思い出した。

 

"時間は、未来から過去に向かって流れている"

 

過去の出来事が今の自分を作っているのではなく、

よい未来を作るために、どんな現在も過去も必要な出来事だと思えば、今までの経験は良いものに変えられる、というもの。 

 

未来にたどり着いた時に感じる、

"結果オーライ"って、やつ。

 

それをなぜか玄関先で思い出したので、

よし、今日は"集まりなんてどうせしんどいものだろう"という今までの考え方をほっぽって、参加してきた。

 

やっぱり、しんどかったし、ヘトヘトになって帰ってきた。

そりゃあ一回くらいじゃ人は変わらないよね…

そうだよね…

 

ただ、ご飯の味は覚えている。

あれ美味しかったな〜とか、

お腹いっぱいだ〜とか、

感じられている。

 

それだけでも今日は、結果オーライかな。