疲れたと思ったとき、気がついた

 

ほんとは疲れていなかったんだってことに。

それに気がついて、笑ってしまった。

今日は、そんなお話。

 

 

今日もこのご時世で、人手を減らしての出勤。

一昨日の気持ちが揺さぶられたとき - ひとりごととで書いたように、

一人がこなす仕事の量が普段よりも増えてしまいました。

 

状況はやっぱり一昨日と同じ。

資料作成を頼まれ、それを作っている間に電話が鳴る。

電話に出てる間に他の人に話しかけられる。

電話が終わった、資料作成に戻ろうとすると

今度はメールが届かないトラブルが発生。

しかもそのメールは緊急のもの。

それが解決したかと思ったら今度は決められた時間に出さなきゃいけない

資料の提出。

 

うわー!

お助けー!

 

と叫びながら、

何とか乗り切って、帰路についた。

 

電車の中で

”疲れた…”

”消耗した…”

”早く帰りたい…”

と心の中で呟いていた。

心身共に、何だかぐったり。

 

そこで”あ、そうだ”、と気がついた。

 

この”疲れた”って感じた後ろにあるもの。

”疲れた”気持ちを生み出した元の出来事。

それを思い出してみようと思った。

 

資料作成。

その最中に掛かってきた電話。

緊急のメールが届かないトラブル。

決められた時間に出さなきゃいけない資料の提出。

 

これらの出来事に、”お助けー!(やばいよー!ってこと)”と

意味づけたのは自分だったんだってことに、気がついた。

 

本当に忙しい時は次々起こる出来事のど真ん中にいるから、

意味づけについてなんて考えている場合じゃないので笑。

その時はもう”うわー!お助けー!”となっても仕方ない。

それで良しとしよう。

 

じゃあ、その後。

何をしたかというと、その出来事を手放してみた

 

資料作成。

その最中に掛かってきた電話。

緊急のメールが届かないトラブル。

決められた時間に出さなきゃいけない資料の提出。

 

これらの出来事を、一通り思い出したら

頭をまっさらにして。

何も考えずに、思い出したその出来事がすーっと通り過ぎるまで。

通り過ぎて、すーっと去っていくまで。

そのままにしておく。

じんわりと味わうというのかな。

とにかくそれに、自分の感情を貼り付けたりしないで。

 

そうして出来事が過ぎ去った後、気がついた。

”何だ、何も大変なことは起こってなかったんだ。”

 

今日一日経験した出来事を、

「”疲れるような”、”消耗するような”出来事」だと

自分で意味づけしたから、

疲れたように”感じていた”だけだったんだ。

 

それでふと身体に目を向けてみると、

ほんとだ。疲れてない。

思わず笑ってしまった。

心身共に、疲れてませんでした笑。

 

それで家に帰ってもりもりご飯を食べて、

いつも通り過ごした。

 

不思議なもので、ぐったり疲れた(と思い込んでるだけなんだけど)日は

家に帰って、温かいお風呂に入って。

身体に優しいものでも食べて、アロマでもたいて。

早く寝よう…なんて今まで思っていたんだけれども。

 

それが思い込みなのだと気がついてからは、

そんなことしなくても良くて。

もう、いつも通り過ごしていたら良かったんだと

いうことに気づきました。

 

今日もやっぱり、

思い込みの世界の中で一日ワタワタしてたみたい。